2020.03.02

Yancle立ち上げの背景(第1回)〜ヤングケアラーとしての高校生活〜

こんにちは!
ヤンクル代表の宮崎です。

今回から数回に渡って、わたくし宮崎がヤンクルを立ち上げるに至った原体験についてお話したいと思います。

なぜかというと、エントリーしていただいた皆さまから非常にプライベートなことをお伺いするのに、僕自身が公開していないのはアンフェアだと思うからです。 とはいえ、長らく隠してきたというか、積極的に打ち明けてこなかった過去を、こうやって正式なホームページにあげてインターネット上に公開することに対しては、若干ながら抵抗がありますね(汗)。

頑張って書きたいと思います。


家族介護が始まった16歳


僕は16歳の頃から母のケアをはじめ、今でも寝たきりの母の介護をしています。

ケアが始まる以前、母は軽度の眩暈の症状があったものの、とりわけ不自由のない日常を送っていました。 僕自身も勉強が苦手なので部活にひたすら励むという、世間一般的な学生生活でした。

ケアが始まったのは中学3年生の頃だったかと記憶しています。 母の運転する車に乗って、昼食のためにレストラン(たしかジョリーパスタ)に向かっていました。 乗っている車の様子が明らかにおかしい、中央線からはみ出しまくっている、なんだこれは、と思い母の様子を見てみると、眩暈によって運転がままならない状態だということがわかりました。

なんとか無事に家に帰ることができましたが、母が不安げな表情をしていたのを今でも覚えています。

もう運転ができないかもしれないと。


母親と病院をめぐる中学生


その後母の体調が異常だということで、病院巡りがはじまります。

思春期の僕は母と一緒に出かけることを少し恥ずかしく思いながら、時々身体を支えつつ、病院に連れて行きました。 母は外見上、40代半ばの普通の女性なので、電車やバス内で優先席に座らせてあげようと思っても誰も譲ってくれません。 それ以降、外見上はわからなくても困っている人がいるんだと思い、優先席には絶対に座らないと中学生ながら決意しました。 自分で言うのも何ですが、幼い頃から病気や障がいをもった人の立場で物事を考えられるというのは、ヤングケアラーの強みなのかもしれません。


当時母の病気の診断は簡単には進まず、病院をたらい回し状態にされることになります。

ある病院で母の症状を聞いた医師が診断を諦めたのか「それはあなたの心の問題だ」と無茶苦茶なことを言い出し、「そんなはずないじゃないですか…」と母が泣いていました。 今でもその病院名や外来の場所、医師の顔をはっきりと覚えています。
それほどまでにショックが大きかったのだと思います。

いつ病名がついたのか正確には覚えていませんが、母は「多系統萎縮症」という神経系の難病だということがわかりました。
脳の一部分が徐々に萎縮して、次第に身体が動かなくなってしまう病気らしいです。 「らしい」と書いたのは、実際僕はその病気のことをほとんど知りません。

怖くて調べたことがないんです。16年ほど経過した今でも。

治らない病気のことを調べたところで、悲しくなるだけなので。


周囲との違いを感じる高校生


僕が高校に進学したころ、母は家でご飯を作るのがやっと、という状態でした。

なので、洗い物や洗濯などの家事を手伝ったり、トイレに行くのを支えたりするなど、日常的なサポートをしていました。 徐々に母はご飯を作ることも難しくなっていき、姉がお弁当や夕飯を作ってくれるようになります。 姉は僕の2歳上なので当時まだ高校生。典型的なヤングケアラーですね。


このころから少しずつ自分は他の人の生活とは違うのかもしれない、と思いはじめました。

なぜなら、忘れ物をしたら親が届けれくれる、台風の日は親が迎えに来てくれる、ご飯は当たり前に作ってもらえる、そんな周囲の環境とは明らかに違ったからです。 少し寂しい気持ちとともに、正直「みんな甘えやがって」とひねくれた気持ちでもありました。


ヤングケアラーの無意識の家族愛


高校生活も後半になってくるといよいよ母が自力で生活を送ることが難しくなってきました。 寝るときは僕が母の隣りに寝て、夜中にトイレに行くときには一緒に起きて連れていくような生活です。

部活の朝練のため毎朝5時に起きていたこともあり、周囲からは相当辛い生活をしているだろうと思われていたのでしょう。親戚や祖父母が家に来ると泣きながら感謝されるようになります。 ただしどういうわけか、そのころはあまり辛いと思わずに、当たり前のことをやっているだけだと思っていました。母が困っているから自分が助けるのが当然なのだという風に。

そのように「自分がやるべき」だと思うあたりが、ヤングケアラーに特徴的な傾向かもしれません。 若いがゆえの過剰な家族愛というやつでしょうか。自分と親との距離がうまく取れていない状態といえばいいのかでしょうか。 なんと表現すべきかよくわからないですが、こういった心理は他のヤングケアラーにもあるのではないかと思います。

この頃から部活をたまに休むようになり、理由を顧問の先生に話しましたが、「それはしょうがないね」程度のコメントしかもらえませんでした。 気の利いた返答を求めていたわけではないですが、気にかけて欲しい、心配して欲しい、という気持ちは少なからずあったかと思います。

もし今後ヤングケアラーの存在を知っている先生がそういった話しを聞いたとき、どんなコメントをするべきなのか、そしてどんな支援ができるのか、このあたりは今後考えていくべき部分ですね。

そして、ここから本格的な介護の生活が始まります。

続く。