2020.03.08

Yancle立ち上げの背景(第2回)〜介護漬けの17歳〜

こんにちは!
ヤンクル代表の宮崎です。

前回(こちら)に続き、ヤンクルを立ち上げるに至った背景について書きたいと思います。 こんなことに興味ある人いるのかな、という半信半疑な心持ちではありますが(笑)

今回は高校卒業間近から、卒業後の介護漬けの1年間です。 思い返してみれば、この時期が長年の介護生活史上もっとも辛い日々でした。

僕と似たような境遇で今現在苦しむケアラーが、奇跡的にこの記事に出会ってわかりあえることを祈りながら書いてみます。


ある朝、目が覚めなかった母


高校生活も終わりを迎える冬。

母のケアをしつつも、大学受験の勉強に励んだ結果、ギリギリ(たしか補欠)で合格できました。 今後、母の介護生活に活かしたいという思いから、福祉系の学部を受験していたので、もしその大学に通っていたら今頃介護士やケアマネになっていたかもしれません(どうでもいいですが)。

前回、介護のために夜間は僕が母の隣で寝ていたと記載しましたが、母の病状も悪化していて、毎晩変ないびきをかくようになっていました。 首を締められているような、悪夢にうなされて叫ぶような、ちょっと怖い感じのいびきです。

ある朝、目が覚めて気づくと、母のその変ないびきが聞こえない。 そしてピクリとも動かない。 揺さぶってみてもまったく反応がない。

僕はすぐに救急車を呼ぼうと父に提案しましたが、父は「様子を見よう」と言います。 そんな場合じゃないでしょ!と思って、僕が急いで救急車を呼んでしまいました。

呼んでしまったんです…。

10年ぐらい経ってから、母が「自分に何かあったら助けないで欲しい」と父に話していたことを知ります。 だから父は「様子を見よう」と言ったみたいです。 僕が救急車を呼ばなければ、母は眠ったまま、安らかに命を引きとっていました。 このことについては今でも考え続けています。

賛否両論はありますが、無理に生かすことだけが愛じゃないと、僕は思います。


大学進学をやめると決意


僕の呼んだ救急車で母は病院に運ばれ、手術を受けて一命をとりとめます。 気管切開し、いろんな管が繋がれている母の姿は、高校生の僕にとってはその場で倒れしまうほど(実際に倒れました)、ショッキングな姿でした。

母の意識は戻りましたが、自分で起き上がることができず、体もろくに動かすことができないという、ほぼ寝たきりの状態になってしまいます。 気管切開した喉の管にスピーチバルブというものをつけてなんとか喋ることができるというぐらい。 そんな状態でも看護師さんから車椅子に移動させる方法、喀痰吸引の方法などを教えてもらい、在宅介護をすることに決まりました。

同時に僕は決めました、大学に進学するのは一旦やめようと。

最近インタビューなどで「大学進学をやめる必要あったんですか?」とよく聞かれます。 もしかしたらやめる必要はなかったのかもしれません。

でも、なぜか僕が側にいなきゃいけないという、ある種の使命感のようなものに駈られていました。 おそらく他のヤングケアラーたちにもこういった気持ちが少なからずあると思います。※ヤングケアラーとは

自分の人生と家族の人生を客観的に分けることができないのです、大人と違って。


死にたがる母


本格的な在宅介護が始まります。

1年後には大学に進学すべく、勉強しながら介護をしようと考えていました。

介護士さんや看護師さん、訪問入浴の事業者さんなどが定期的に家に来るようになります。 僕のやるべきことは投薬と喀痰吸引、ご飯を食べさせること。 朝昼晩と母を車椅子に移動させ、1〜2時間かけてご飯を食べさせ、薬を飲ませます。 そんなに時間かかるの?と思われるかもしれませんが、咀嚼のスピードが遅いのと、ベッドに戻るのを母は嫌がるので、仕方なくそれぐらいの時間をかけていました。

ようやくベッドに寝かせて勉強を始めようと思うと、在宅用に設置したナースコールが家中に鳴り響く。 母は腕と指を多少動かせたので、手に持たせてあげさえすれば、ナースコールのボタンを押すことは可能だったからです。 ナースコールがなる度に僕は勉強を中断し、母のもとへ駆け寄ると、聞き取りずらい声で「痛い」や「痒い」などと訴えてきます。 勉強中だけでなく、もちろん夜中もナースコールのオンパレードです。

その度に寝ているポジションを変えてあげるのですが、それだけならまだいいんです。 「死にたい」と訴えられることが、その頃は頻繁にありました。 そう言われても、手を握ってあげることぐらいしか僕にできることはありません。

自分で死ぬことすらできない母が、死にたがっていることが、ただただ悲しかった。

僕は外出すると吐き気がするようなノイローゼ状態になってしまい、心身的に限界だったので、勉強をやめてずっと母の側にいることにしました。

そこから約1年間、母の横でひたすら小説を読む日々が続きます。 おかげで翌年の模試では現代文の偏差値だけが全国トップレベルだった、というささやかな自慢で締めさせてください(笑)

続く。